花岡隆インタビュー


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「健全であること」 花岡隆


幅広いファン層を魅了し続ける花岡隆さん。
おしゃれ、シンプル、カジュアル、が持ち味ですが、
多くの方々が安心して手に取るのは、
花岡さんのモノづくりに対する真摯な姿勢があってこそ。
「私のしごと、私のうつわ」に向けても、花岡さんらしいうつわを作ってくれました。



花岡:この間、仕事で倉敷行ったら、クラフトフェアやっていました。

花田:美観地区のあたりですか?

花岡:ちょっと通り越したところです。公園があって、美術館とか資料館とかあるあたり。

花田:いかがでしたか?

花岡:暑かった。前の日までは雨降ったり曇ったりしていたんだけど。当日だけピーカン(笑)。 作家は20代中心で全体的に若く、岡山の作家ももちろんいたけど、
関東を始めとして九州、四国等々日本全国から集まっていました。木工や鉄も面白かったな。
参加希望者を募るのではなく、主催者が参加者に依頼している形だから統一感があった。
もうちょっと色々あっても楽しめたかも。
モノって、おどろおどろしいものがあって初めて、きれいなものが映えると言うか。
こぎれいでスッキリしたものが多かったですよ。
ほんとはね、笛吹いて踊っちゃっているようなのがあったっていいじゃない、って思うこともある。
でも、最後は結局、アイスクリームが一番人気(笑)。美味しいんだ。

花田:さ、花岡さんの話を聞かせて下さい。なんで、うつわを始めたのですか?

花岡:番浦史郎先生に会ったのがきっかけ。

花田:出会いが先ですか?

花岡:そう。東京の造園会社でバイトしていたことがあるんだけど、その時の知り合いが信楽にいて。

花田:造園会社でバイトしていたのですね。その頃から石や木は好きだったのですか?

花岡:いや、別に(笑)。ただその頃は、エクステリア、ランドスケープ関連の仕事をしたいな、と思っていて。
イサムノグチなんかが出てきていたし。バブル前だし、仕事も増えてきていたんです。
そうそう、それはどうでもよくて、その知り合いが単身赴任で一人住まいをしていたから、居候していてね。
向こうも困っていたんじゃないかな。「居ていいよ」って言ったら、ほんとにいつまでも居るから。

花田:遠慮なくって言ったって、少しは遠慮してほしいと思いますよ(笑)。

花岡:その人が番浦先生を紹介してくれた。
苦肉の策だろうね。どうしたら追い払えるかなって。
で、言われるがまま番浦先生のところ行って、
まず見たのが一つの湯呑だった。それは驚いた。
今まで自分が作っていた概念的なものではなくて、凄く単純なものだったから。
実に分かりやすいものだった。
ま、その後、そういったものの奥深さも知ることになるんですけどね。
ま、その時は、ああ、これいいなあって。
それで、そのまま、今度はそこに居候。
飯も食わせてもらえるし、酒も飲めるし、こりゃいいやって(笑)。

花田:居候のはしごじゃないですか(笑)。

花岡:当時、そこに自分の荷物置いたら、自分のスペースになるって感じだっだから。

花田:「当時、そんな感じ」があると思っていたの花岡さんだけじゃないですかね(笑)?

花岡:しばらく経つと、例によって「お前どうすんだ」って聞かれて。
「焼き物やりたいんですけど」って答えたら「じゃあ来いや」って。

花田:すんなり、ですね。番浦さんのところにはどれ位いたのですか?

花岡:5年。板皿なんかの板ものが多かった。職人としての鍛錬はそれがベース。
あれはやはり京都の仕事の細かさかな。兄弟子も色々教えてくれて。

花田:その後、すぐ独立されたのですか?

花岡: いや、そのあと美濃にしばらくいました。

花田:花岡さんのうつわって一見シンプルでカジュアルな雰囲気ですが、実は仕事細かいです。
最初の修行時の習慣でしょうか。

花岡:相当叩き込まれました。
崩す仕事はきちっとしたものが作れてからの話だ、って番浦先生がよく言っていた。

花田:仕事場は最初からここですか?

花岡:修善寺は修善寺だけど、ここではなかった。ここから2-30分山奥に入ったところ。
で、そこに自分で家立てて、窯小屋建ててね。
美濃から持ってきた中古レンガで窯屋さんに組んでもらった。
今でも定期的に使っている。やはり粉引なんかも表情が豊か。

花田:サイズはどれくらいですか?

花岡:人間が中に入れるくらいだからね。でも小回りが利かない。

花田:当時、窯をうめるの大変だったかと思いますが?

花岡:ただ、当時、粉引の食器を作っている人が少なくて、結構たくさん作っていたんですよ。

花田:ご自身のスタイルにも自信持てたでしょうね。

花岡:これでやっていけるな、っていう感覚はあったけど、それ以上に轆轤の鍛錬になったと思います。
恐らく湯呑や小皿なんて通算すれば万単位で作っていたと思う。
それで手際も良くなったし、仕事しながら番浦先生の「いかに手の動きに無駄をなくして作るか。
無駄のない手で作ったものには無駄がない」って言葉を実感していましたよ。

花田:余計なことをしない、というのは今も変わりません。
花岡さんのうつわはシンプルな料理もよく映えます。
うつわづくりで大事にしていることは何ですか?

花岡:品性は大事にしているかな。
自分の展覧会の時に、会場などであるポイントで傍観者の立場になるんですけど、
いやしさを持っていないかな、というのは気にして見ています。
多分それで確認しているんです、その時その時の自分の仕事を。
最初はだれもが純粋なんだと思うけど、やっているうちに余計なこと考えたり、し始めたりする。
それは、モノだけでなく、一人の人間や人生にもあてはまるかもしれない。

花田:品性は意識で保てますか?

花岡:余計なことは考えないようにしています。間違いなく、表現者は誰かに受けたい、認められたいと思っている。
でも、最初からそれを明らかに狙っちゃいけないのかな、と。
例えば、力強さって言うけど、分厚くて乱暴にしたら力強いかと言うと、それは違う。
よっぽど丹念な仕事をして、すっきりしたものでも力強いものもあるし、荒々しいけど脆弱なものだって存在する。
そういうのって、思わず出てきてしまうものですよね。

花田:作っている時はあまりその先のことを考えないのですね。

花岡:大きな方向性は考えるし、やきものの出来栄えを読んでいくのも仕事だから多少はするけど。
もう一つは、仕事をなめないことかな。土にしても火にしても自然のものだから。
自然に対して傲慢になったら必ずしっぺ返し。

花田:今後、やっていきたいことはありますか?

花岡:健康でいたいな。体も心も。
僕の好きな民芸の言葉に、健康な人間が健康なものをつくる、というのがあります。

花田:真面目で健康に。逆に、今の若手の作家の皆さんに対して、何かありますか?

花岡:あんな花岡みたいなうつわ、簡単にできるよって思っている人達も多いんじゃないか(笑)。
たいしたことないよ、って。
まあ、それは別にして一つ言えるのは、いいものを見たり使ったりするのは大切だと思う。
焼き物だけでなくて絵でも、音楽でも実際、見に行って。
博物館でも美術館でも、銀座の街でもいいから、いろいろな場面で感性を磨いていったらいいと思う。

花田:花岡さんも色々な話をされます。古美術、骨董はもちろん、メガネ、ロック、自転車、等々。

花岡:そうそう、昨日もボブディラン見てたけど、すごい人だね。吟遊詩人だ。間接的な表現が多いし、歌詞は難しいよ。

花田:「私のしごと、私のうつわ」に向けて。

花岡:今回は茶碗や湯呑も作りました。

花田:イラボは前からやっていましたか。

花岡:粉引きにかけたのは初めて。
しのぎにかけたら、焦げがでたり、いろいろ表情が出たり面白いんだ。でも中は白にしようかなって。

花田:見込みがイラボでもきれいです。
あと、あの石目の鉢も圧巻。花岡さんらしさが存分に発揮されています。

花岡:それはどうも。

花田: いずれにしても少し新しい花岡さんをお客さんに楽しんでもらたく思います。

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