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岸野寛インタビュー2018


焼き物の世界へ

花田:岸野さんは焼き物にはいつ頃から興味を持つようになったのですか。(以下花田-)

岸野: 父は水墨画家でしたが、5人兄弟だれも絵描きになる気配が無かったので、自分がなろうと思っていました。
父が、誰か一人には継いで欲しいと望んでいるのを何となく感じていたので。
ただ学生の頃、僕は西洋画が好きで、高校も洋画科が第一志望でしたが、結局、第二志望の陶芸科に行くことになったのが、きっかけです(笑)。

-:西洋画と陶芸では随分違います。

岸野: はい。
「嫌だなぁ」と思っていたら、たまたま叔父が東洋陶磁美術館に連れて行ってくれたんです。

-:いかがでしたか。

岸野: 「これは凄い!」って。
「陶芸科でよかった」と心から思いました。

-:叔父様に感謝ですね。
さて、何に「凄さ」を感じたのでしょうか。

岸野: 驚きに近かったのですが、絵がかかれていたり、何かくっついていたり、彫刻的だったり。
とにかく「何でもありなんだな」という・・・。
それから、唐九郎さんの本を読んだり、色々なものを見たり「土と炎!」みたいな世界にどんどんはまっていきました。


モノの空気

-:焼き物が岸野さんにとって、かけがえの無いものになっていく時期ですね。

岸野: 「陶芸家になりたい」というよりは「焼き物に関わって生きていきたい」という思いでした。
土を掘って、薪を焚いて・・・そうやって暮らしていたいなと。

-:ご自身の仕事を言葉で表すとすれば?

岸野: 僕の場合、自己表現の意識があまりないので、表すとすれば「陶工」に近いと思います。
ただ、オリジナルのものを目指してはいませんでしたが、自分の好きなものや求めているものを突き詰めていくと、結局オリジナルのものでないと、その「モノの空気」って出てこないのかなという風に今は思っています。

-:岸野さんが求めている「モノの空気」とはどのようなものなのでしょうか。

岸野: これ、ある展覧会のために考えた文章です。

-:「内面に実在感を宿る古陶は飽きる事無く、時々の人の心に寄り添い続けると感じます。 様々な焼き方を通し、このような作品を志し日々作陶しております」。


実在感・・・

-:「内面に宿る実在感」とは・・・。

岸野: 自分が好きなものは、唐津、李朝、信楽・・・と多種多様なのですが、好きな古陶には、それぞれが人格に近い魂の気配が漂っている様に僕には感じるのです。

-:飽きる事無く、時々の人の心に寄り添い続ける・・・。

岸野: 人間、様々な精神状態がありますよね。
一つのモノでも、辛かったり悲しかったりした時には慰めてくれる、逆に高揚しているような時には、それにまた付いてきて、肩を張って付き合ってくれる・・・。
そして、時間が経って、年とって、価値感や美意識が変わっていっても、いいモノってそれが揺るがないと思うんです。
本当に良いものって、自分にとっての存在が変わらない。
単純に言ってしまえば「飽きない」ということで、そういうものが、自分は良いものだと思っています。


今だにドキドキ

-:さて、岸野さんが元々目指していた絵画と焼き物の違いの一つに、自然が作業の中に介入してくる割合があります。
コントロールできる部分とできない部分のせめぎあいを考えた場合、東洋陶磁で岸野さんが一番衝撃を受けたのはそのコントロールできない部分だったのでしょうか。

岸野: これほど陶芸にのめりこんだ大きな要因は「焼き物において、作っていることは、ほんの一工程である」という部分です。
作る前に土があって、作った後に火が加わる、釉薬が加わる・・・。
目に見えないところで作用することが大きいのが魅力で、今だに「ドキドキしながら窯を焚く」ということを続けられている理由でしょうね。
薪の窯の怖さでもあるし、面白さでもあります。

-:すべてが予測どおりに進むことは稀です。

岸野: 焼き物って、たとえ約束事が守られているようなものを作ったとしても、僅かな焼けの違いで内在する空気感が変わってしまうんです。

-:不可抗力によることも多いわけです。

岸野: そうだとしても、どういう条件で発生したのか、土の状態を見たり、窯の温度の上げ方や下げ方を見直したり・・・、そういうことは凄く考えますね。
考えますけど、それにも「できること」と「できないこと」があるわけで・・・。
あと、焼〆なんて、壷から食器まで大小さまざまなものを入れているから、それのどこに基準を置くかというのも重要です。
今回初めて試みたように壷ばかり入れると、壷のための窯焚きができます。
いつもより一日長く焚きました。
一日伸ばすと、食器なんてテカテカになってしまいますからね。

-:それぞれに適した方法があるのですね。

岸野: 古い壷の景色のあり方を見ながら、どういう窯焚きからこうなったかというのをずっと考えてきたときに、もうそれは壷ばかりまとめて焼いたときに実現するのかな、という答えです。

-:古い壷の景色のあり方とは。

岸野: 具体的な見た目の話をすると、例えばこの壷を見てみて下さい。
このように、胴の真ん中に灰が横長に付いて溶け切っていない、そして口には首のところに灰がついているというのが、古信楽の壷には多いんです。
ずっと焼〆の壷を焼く上で、求めているところだったのですが、その気配は今回明らかに出てきています。
これは窯の奥のほうで焼いたもので、自然になったものです。
話それましたね・・・(笑)。


土楽にて

-:そして陶芸科を卒業後、土楽に。

岸野: 福森さんのご指導は僕の体に染み付いています。
現在、表現主義に行かずに、使うものとしての焼き物に関わりたいと強く思うのは福森さんの影響です。

-:使うものへの強い思い。

岸野: 暮らしの中で使うものが、使うことによって愉しみを与えてくれて、暮らしを内面的に支えてくれるようなものであってほしい。
僕はモノというのは暮らしを深めてくれるものとしてとらえています。
両親がそうやってモノと付き合っている姿も見てきましたし。

-:生まれ育った環境もあったのですね。

岸野: 表現のほうに行かなかったのは、修行時代の若いうちに家庭を持ったことも大きいと思います。
土楽で作ったものの中でB品(どこかに食器として欠陥があり販売はできないが使用は十分出来るもの)を家に持って帰っては、使っていました。
「なんか良くない」とか「心地よくない」とか「使い勝手がいい」とか、生活者として常に自問自答していました。

-:修行時代から第三者的に自分の仕事を見ることが出来たのですね。


モノ対モノ

-:「使うもの」として目指すところは?

岸野: 冗談に聞こえるかもしれませんが、自分がこの世からいなくなっても、自分のモノは残ります。 それが縄文土器いれたら最長2000年くらい経ったものと、モノ対モノで勝負していくわけじゃないですか。
そういう時に残るものを作りたいなと願っています。

-:残るものとは。

岸野: 漠然としていますが「心地良いもの」でしょうか。
モノとしての勝負はそこにあると思っているので、その確立が自分の目標です。


それぞれに思うこと

-:岸野さんは壷、茶碗、酒器、食器・・・と色々作られています。
それぞれに込める思いや、目指していること、作り上げていく道筋には共通点も相違点もあるかと思います。

岸野: 「自分自身が使いたい」ものに向かっているのは一緒ですが、心の持ち方は全然違います。
今思い出せば、独立当初はコロコロ作るものを変えていました。
壷作って、茶碗作って・・・で、焼〆作って、白釉作って、もうものすごいランダムに・・・。
最近はそれぞれの気持ちになっていくのに時間が掛かるようになって、仕事がはかどりません(笑)。

-:それぞれに、より強い思いを持つようになっているのでしょうか。

岸野: 自分が求めているものがそれぞれ強くなっていっているから、そういう風になってしまうのは仕方のないことなのかなと思っていて・・・。
そうなると例えば、自分が壷の世界に入っていくまで―そういう心持ちになるまで―ただ待っているような時間が最近は時々あります。


心のうつわ

-:まず、岸野さんにとって壷の魅力は何ですか。
岸野さんの言う「実在感」を最も持っているものが壷なのでしょうか。

岸野: 壷の場合、そこが勝負です。
壷は、その中に込めている空気みたいなもので全てが決まると、私は思っています。
フォルムなどは結果としてあとから付いてくるものです。
花もたまには生けますが、壷の場合、大半はそのまま置いて眺めているだけじゃないですか。
「使うものを作ります」と言いながら、壷や甕みたいに眺めているだけのものも作るというと、変に聞こえるかもしれませんね(笑)。
自分でもよく分からなくて、「それは何か」というのを考えたことがちょっとだけあるんですよ。

-:答えは出ましたか。

岸野: ちょっとクサくて恥ずかしいんですけど・・・自分は「気」と考えました。
その気の質は、例えば李朝と信楽では違います。
内面の空気というか、あり方が違うというか・・・。
結局、自分にとっては「心のうつわ」みたいなものなのかなって。
ジーっとただ見ているだけですから。
だけど、自分の生活の中にあってほしいものなのです。


してみるからこそ気づくこと

-:続いて、岸野さんが求めるのはどのような茶碗ですか。

岸野: (しばらく考えて)「お茶が美味しい」ということに尽きます。
「この茶碗で飲んでみたい!」と感じ、飲み終わった後、只美味しかったとなる「美味しい茶碗」でありたいということです。

-:美味しい茶碗・・・。

岸野: 口を近づけて行った時の見込みの空気感が、茶碗にとって大事なことだと私は思っています。
その時に茶碗の存在は無くていいと思うのです。
飲み終わると又飲んでみたいと茶碗の存在を強く感じる。
そういった見込みの空気を、半泥子の茶碗には感じますし、彼の茶碗が大好きです。
いや、あれだけメチャクチャな造形でも強烈に茶碗を感じるし、あの空気を持っているというのは、不思議なものだなって。
随分前に、憧れてそれっぽいものを作ってみたのですが、到底茶を飲めるようなものではなかった(笑)。
そういうものなんですね。
今では真似しようとは全く思わないです(笑)。

-:岸野さんが半泥子の茶碗に惹かれるのは造形以外のところにあって、外見を自らなぞることでそれに気付くことになる。
人がモノを作ることの凄いところですね。
外見を器用になぞればなぞるほど、その本質的な違いが浮き彫りになってきてしまう。

岸野: 長次郎の茶碗にも同じものを感じます。


お酒が美味しい

-:酒器はいかがですか。

岸野: 茶碗同様、「お酒が美味しい」ということです。
お酒は自分にとっては緩みたいものです。
緩むのを受け入れてくれて、一緒に緩んでくれるようなもの。
酒器は自分の心を開放してくれるものであってほしいと考えています。


そこに自分がありますか

-:うつわはいかがですか。

岸野: 「料理が美味しそうに見えるかどうか」が全てです。
決して派手じゃなくて、なんか心地良いなという・・・気の質みたいな。
これは壷でも茶碗でも酒器でも食器で、そこが一番執着しているところです。

-:うつわを作っていく時はどのような感じなのでしょうか。

岸野: 使われるイメージを持ちながら、ロクロをひきつつかたちや寸法を決めていきます。
以前は骨董のこういうものを作りたいとなると、それにいかにフォルムや、寸法、比率が近いかを意識していましたが、それらは自分の中にあることだと思うようになりました。

-:「こうあるべきだ」と押さえつける仕事から、作り上げていく仕事に変わってきたということでしょうか。

岸野: 押さえつけるような仕事を今でもたまにすると、自分のモノではないような感覚になります。

-:その「押さえつけるような仕事」を経る、ということも道程の一部であるわけです。

岸野: 仮に、古いものを見て「こういうものを作ってみよう」と作り出したときに、自分にその美しい実感が生まれ見えてこないときに作ったものは、うまくいきません。
美しさが自分の意識の中にあれば、他人から見れば模しのように見えるものでも、自分の中では模しでなくなっているという感覚は最近強くなってきました。
今、自分にとって大事なのは、その古陶の外見に忠実であるかどうかではなく、「そこに自分があるかどうか」です。

-:「焼き物を作る」ことに限ったことではありませんね。
仕事でも遊びでも「そこに自分がありますか」という質問があるとすれば、ドキッとする問いだと思います。


「個性が無い」と言われても・・・

岸野: 話が少し逸れますが、高校時代「個性が無い」と散々言われていました。

-:意外です(笑)。

岸野: 悩みに悩んで、福森さんに相談した時「その人の言う『個性』というのはアイデアとか、発想とかいうことをいっているだけなんじゃないか」と教えられ、救われた覚えがあります。
自分には突拍子も無いオリジナルのものを作る意識はありません。
そんなことを思った瞬間に手が止まってしまうし、焼き物が嫌いになってしまいそうです。
「コレが好き」とか「こんなの使いたい」とかいうのが自分の原動力です。

-:それこそが岸野さんの個性なのですね。
ロジックから出てくるものではないし、他者からの差別化を図るための道具でもない。
「自分らしさ」なんてその時の自分の都合で自分を縛っているだけであることも多い気がします。
ある意味、楽でもあるんですよね。
個性の強要は、個性を歪ませることにもなる。

岸野: 私の父は、毎年展覧会をしていたのですが、自分の幼少時代のイメージだと多種多様な絵の描き方をしている人でした。
でも、65歳くらいの頃から、誰の真似でもない「岸野忠孝の絵」で展覧会場が全部埋め尽くされるようになったんです。
それが印象的だったので、そういうことで焦る必要はないなと思っています。
多種多様な仕事をしているのは「自分が使いたいもの」を正直に追っている結果です。

-:お父様は、今の岸野さんを当時のご自身と重ねて見ているかもしれませんね。


白の仕事

-:焼〆から白まで、幅広く仕事をすることで、得られたこともあるのではないですか。

岸野: 伊賀のこの耳付などは、白をやり続けていることが凄くプラスになっていることを感じます。
好きな空気感を開放させることができる、というか白のある種「緊張させる」仕事があるから、あの伊賀の耳付のような思い切ったこともできるのかなって。
これ、思い切りヘラ入れて真ん中のくぼみをつけているんですよ。
小細工すると「整えた感」がでてしまうので、グワーって一発で成立させないとダメなんです。

-:全体のかたち、崩れませんか。

岸野: 物理的な作用が分かってきたので、思い切りやってもうまくいく道筋のようなものが段々分かってくるんです。
白をやっているときに分かったことです。

-:「白」の仕事は岸野さんに色々なものを与えてくれたのですね。

岸野: 焼〆の土で鶴首とか瓶子とか、キリっとしたものが出来るのは、こういう白い仕事をしてきたからかと思っています。


これからのこと

-:今後やっていきたいことを教えて下さい。

岸野: たくさんありますが、焼〆については昔の窯に近い急勾配のものを作るつもりでいます。
壷の首に灰が付くのは勾配がきつい窯の中での下からの炎の方向のせいです。
今のフラットな窯で、段差をつけて下から上に火を向けていくことで実現できました。
今の窯で確かめないといけないことがまだ何点かありますので、それらを整理して、数年のうちには作りたいなと思っています。

-:白はいかがですか。

岸野: 白は・・・、良く焼けているけど柔らかいものという、焼きしまっていない柔らかさではなくて素地がしっかり焼結している上で柔らかいものを目指します。
深みのある柔らかさ、ですかね。
作品的な要素を求められる個展が多い中で改めてお話ししていた使うものとしてのものづくりを強く意識して仕事をしてきました。

-:色々なお話を有難うございました。
展覧会、よろしくお願いします。

岸野: うつわをたくさん作っていますので、よろしくお願いします。


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