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山田隆太郎さんインタビュー



立体物への興味から

花田:山田さんとものづくりの接点は元々どういったものだったのでしょうか。(以下花田-)

山田:小さい頃から立体物に興味がありました。
進路を決める際も家具やインテリアを勉強したいなと思っていて、それが建築科に内包されている多摩美術大学に行くことになりました。

-:インテリアの勉強は楽しかったですか。

山田:内容が、予想と違いました。
元々学科違いと言うか…、当然ですけど周りは建築家になりたい人ばかりで(笑)。
結局、最後の一年は工芸科に転課しました。

本気で泣き崩れる大人たち

-:学生時代、何か印象に残っていることはありますか。

山田:デザイン事務所でのアルバイトでは、沢山刺激を受けました。
学校で見たことのないような本、資料や昔の名人デザイナーが作った雑誌など、先人たちの成果物が収蔵されていて、アルバイトの合間に見ることができましたし、事務所も「美しいものを作りたい」という空気にあふれていました。
何より、そこにいた人達ですね。
本気で泣き崩れる大人を初めて見ましたから。
みんなでバチバチにやりあって…、激しかったですね。

-:真剣勝負の場に居合わせることが出来たわけです。

山田:そこのボス(事務所長)が大きな存在で「何が美しいかは自分で考えろ」が口癖でした。
今でも焼きあがったもの見て「これは本当に美しいのか」と自問自答するのはその時の影響です。
何かを作ってそれが「よきもの」であるように取り組む姿勢は、作り手としてとても勉強になった部分です。

-:「借り物でない自分自身の美意識を持ち、自分の頭で考えて具現化しなさい」ということでしょうか。

山田:ええ、まあ、そんなところです。
ただ、言葉にすると、抜け落ちるものが多そうで…。
いずれにしても、僕にとって、美意識のベースやものづくりの原点はそこにあります。

活かされて…

-:卒業後はどうされたのですか?

山田:アルバイトしながら彫刻家のアシスタントをしていました。
焼物を始めたきっかけは、二十歳の頃、病気になって、生きていくことが分からなくなっている時に、当時同級生だった今の妻がアートセラピーとして陶芸教室に誘ってくれたことです。

-:それが、ここまで続いているということは肌に合っていたのでしょうね。

山田:どうだろう…合っていたのかなあ(笑)。

-:と、思いますけどね(笑)。
まあ、少なくとも、焼き物に才能が活かされたわけです。

山田:それはありますね。
元々社会から離れるために始めた陶芸が、現在は唯一社会との接点となっているわけです(笑)。

愛すべきもの

-:その後、多治見の意匠研究所に行くわけですね。

山田:うつわの勉強をするつもりでした。

-:つもり(笑)?

山田:先生の専門がオブジェで「なんで意匠研来たの?」って言われちゃうほど、僕はなじめなかったです。

-:なかなかなじめるところが見つかりませんね(笑)。

山田:多分、器用じゃないんですよ…。

-:ところで、なぜうつわだったのですか 。

山田:陶芸作家を初めて認識したのは、雑誌の黒田泰三さんの特集でした。
「うつわでこんなに、表現できるのか」という…。
僕がやりたかったことがそこに詰まっているような感じがして、直感で「こっちにいきたいな」と。
ただ、うつわといっても、僕のものは使われる場面を想定できているような、親切でそつのないようなものではないかもしれません。
僕自身の救済のための陶芸であり、うつわである。
作ったら、もうそれで終わりなのです。

-:モノづくりの仕事は、目標に向かう道程こそ魅力的とも言えます。

山田:道程こそ大事だって、本当にそう思います。
僕らは自分の作ったものと触れ合っている時間より制作過程のほうが長いわけです。
作り手としては、成果物を愛でるよりもその過程を愛するべきだなと思っています。

陶芸の大原則

-:多治見で過ごした時間はいかがでしたか。

山田:面白かったです。
産地なので、学外にもうつわを作っている人はいるし、工場もあります。
アルバイトは工場に行って賃引きやっていました。
お茶碗を生の状態で持っていって、ひとつ140円とか、釉薬かけ続けて時給800円とか…そういうのをひたすらやっていました。

-:産地で、焼物の世界で生きている人達とも関わっていくわけです。

山田:工場で何十年もずっと働いている職人さんとか、おじいさんになるまで、子どものような表情でずっと働き続けている障がい者の方や、ベトナムから片道切符で来ている外国人労働者の人たちや…。
そういう人が俗語をベトナム語で教えてくれたり、楽しかったですよ。
賃引きのアルバイトは、「陶芸は肉体労働」という大原則を教えてくれました。

-:それは、山田さんの仕事の中で、デザイン事務所の影響と共にもう一本の大きな柱となったのですね。

風化していくもの、新たに探すもの

-:その後、ここ藤野(現在の神奈川県相模原市)に。

山田:多治見に6年、ここに越してきて、今5年目です。
当初は青木さん(山田さんは陶芸家の故青木亮氏の元工房で製作活動をしています)と戦おうとしていました。

-:「戦う」とは。

山田:ものを作る上で、自分に、精神的な負荷をかけたいと思っていた頃に「青木さんの作品が残る家に越さないか」という話がありました。
それまでは作品集で拝見するくらいでしたが、縁あって青木さんが残した工房と窯を借りることになったわけです。
これが僕の業だと思って「戦おう」としていました。
青木さんと自分の作品を並べて、自分のもののほうが美しいと思えるまで頑張ろうと。

-:そういうスタートだったのですね。

山田:現在、その「戦おう」という思いは、多少風化しています。
もちろん、青木さんのものは美しい。
ただ自分は又違った美しさを探していかないと。
当時は、引っ越してきた意味を無理に探していたのかもしれません。

その人の深み

-:青木さんの焼物に、山田さんは何を感じたのですか。

山田:ヘルシーなうつわとは違う、その人の深みを感じました。
飾るわけでもないし、質実剛健なんていうキレイごとでもないのですが、ちょっと遊び心もあって…、とにかく色々な魅力があって、そこには凄く惹かれました。
「キレイで爽やかで都会的なものへのカウンターパンチ」ですかね。
「僕はそっちにいきたい」という思いがありました。

-:そういう部分は、山田さん自身が大事にしている部分でもあります。

山田:爽やかで都会的な仕事があるからこそ、僕のような仕事も活かされていると思いますので、決して否定するものではありません。

-:今は、色々な選択肢の中から、みんなが自由に選びます。
全員が一つのものを追いかける時代ではありません。

山田:そうですよね。
色々あるほうが豊かです。

言葉にすると、色々抜け落ちてしまう…

-:山田さんにとって、良い焼物とは何ですか。

山田:あまりうるさくないほうがいいです。
いや、うるさくても良いものもある…。
うーん、なんて言ったらいいのかなあ。
今はうまく説明できません。
持ち帰って考えます。

-:山田さんは「そういうことを言葉にしたくない」と、どこかで考えているのかもしれません。

山田:さっきと一緒で言葉にしてしまうと、色々抜け落ちてしまう気がして…。
それに、理由のくっ付いた美しさって、なんか嘘っぽくないですか(笑)。
とにかく今は色々なもの焼いてみます。
作って、焼いて、作って、焼いて…、その連続の中で見つけていくしかないと思います。

何でも試す

-:山田さんは材料も色々試されています。

山田:手に入るものであれば、何でも試します。
火に強い、弱い、粘りがある、ない、色、粒子が荒い、細かい…。
色々な土をストックしていて、ブレンドしながら焼き上がりを見ています。

-:藤野近辺はいかがでしょうか。

山田:森に入って、粘土らしきものを掘ってきては試験しています。
産地の土と違い、粗悪な土も多いですが、僕が作り求めて来た粉引の技法にとっては、その粗悪な土と化粧土の相性は良く、焼き上がりが面白くなる事があります。
土に含まれる石が化粧土を突き破り、そこから御本がうまれ、何かしらのアクシデントが発生して、特異点、景色を作っていきます。
技法と各材料の相性次第ですね。
要素単体で良し悪しは判断できません。

山田さんにしかないもの

-:花田の個展に向けて何かありますか。

山田:僕にできることはうつわを作って焼くことなので、それに全力で取り組みます。
9月の登り窯でいいものを出したいと思っていますし、最新作をお持ちしますので、宜しくお願いします…。
このへんで勘弁して下さい(笑)。

-:はい(笑)。

山田:僕から松井さんに質問してもいいですか。

-:なんか変ですけど、お願いします(笑)。

山田:なんで僕を選んだのですか。
時代に求められている作家ではありませんよ、僕は(笑)。

-:オンリーワンだからです。
大事なのは、山田さんにないものではなくて、山田さんにしかないものです。
山田さんには、山田さんにしかないものがあります。
それを皆さんに見ていただいて、感じて欲しいなと思って展示会をお願いしました。
山田さんは「時代に求められていない」と言うけれど、僕から見れば山田さんの仕事は実に現代的です。
展示会、楽しみにしています。

山田:こちらこそ。




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