三輪周太郎さん 作者インタビュー2024


銀の仕事をやめられず・・・

花田:現在の、銀カトラリーを中心としたお仕事に至ったお話を聞かせてください。(以下花田-)

三輪:ジュエリーの専門学校を卒業後「どうしようかな」と考えていた時に、阪神大震災の影響で移ってこられた神戸の職人さんが地元の商店街で始められたジュエリーのお店に出会いました。センスあふれるお店作りで、その方に弟子入りをお願いして、押しかけました。

-:受け入れてもらえたのですか?

三輪:通ってはいました。
よく「お前は弟子じゃない。勝手に来ただけだから」と言われていましたが・・・。

-: (笑)

三輪周太郎さん作者インタビュー2024

三輪:僕は銀の仕事をしたかったのですが、最初に「宝飾業界は銀では食っていけない、ジュエリーをしなさい」と言われました。
つまり、銀の仕事はやめろということです。

-:やめられたのですか。

三輪:「はい」と答えました。
ただ僕も「ジュエリーの基礎は専門学校で習っているので、応用を教えてほしい」って言ったんです。

-:押しかけた上に「基礎は要らないから応用を教えろ」ですか(笑)。

三輪:若さゆえの怖いもの知らずですね。
で当時、どうも変な手癖がついていたらしく、ずっと怒られていました。
「専門学校ではこうやっていました」なんて言ったら・・・。

-:こっぴどく叱られそうですね。

三輪:ええ(笑)。
当時、自分に自信もあったから、思っていることを、飲んでいる時なんかにもついポロっと言っちゃうんですよ。
とにかく毎日、色々な理由で怒られていました。

-:一緒に飲むような仲だったのですね。

三輪:今、思えば大変貴重な時間で、いい話をたくさん聞くことができました。
その後、1年半くらいしたら「お前、やっぱり向いていないからやめろ」と言われました。

-:「向いていない」ですか?

三輪:結局ですね、先生のいないところで銀のアクセサリーをずっと作っていたんです。

-:(笑)。先生はご存じでしたか?

三輪:それはそうだと思いますよ。
で「俺の言うこと聞けないなら出ていけ。ジュエリーの仕事をこれ以上教える気はないからあとは好きにしなさい」と。

三輪周太郎さん作者インタビュー2024

このままでは・・・

三輪:先生のもとを離れてからは、仕方なく一人でやっていたのですが、相変わらず、自分の好きな物を延々と作っている。当然のことながら、売れません。
ジュエリーギャラリーのオーナーに「こんな呪われそうな仮面のアクセサリー要らない」とか言われて・・・。

-:呪われそうな仮面のアクセサリーですか。

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三輪:当時、仮面が好きだったんです。鬼瓦とかも・・・。
鬼瓦を作って持って行ったら「ポケットに入れたら、角が引っかかって、ズボンが破れるからやめてほしい」とかなんとか言われて・・・。
あとはわかめの指輪とか・・・。
昆布とわかめが捻じれながら絡み合っていて、その間に小さい魚がいるんです。

-:ご自身としては、いい出来栄えで最高のものを見せているわけです。

三輪:「これはもう、一点ものだし絶対いけるだろう」と思って持って行くのですが、どこに行っても、鼻で笑われる。
そのうち、クラフトフェアにも出展するようになりましたが、やはり「このままでは、まずいな」という焦りもありました。

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-:一方で、自分の作りたいものだけを作っていたい気持ちもある。

三輪:「俺のオリジナル作りたい、人に指図されて作るのは嫌だ」みたいな・・・。
そういうことを考えてしまうじゃないですか。
ただ、今のように、SNSもありませんし、どうしようもありませんでした。
今の若い世代だとギャラリーにも、或いはクラフトフェアにすら出ずに、SNS上で受注会やって、それだけ、っていう。
それでしばらくすると「新しい工房に移りました」みたいな・・・。
「すごいな、今の若手」って驚いています(笑)。

-三輪さんは、正直ですねえ。
少しはそういうことに興味のないフリもしてくださいよ(笑)。
で、変わらず好きなものを作り続けていたのですか。

三輪:花やキノコといった、どちらかというと可愛いものも作り始めていました。
鬼瓦やわかめばかりでは在庫がたまる一方なので(笑)。
そのうち、グループ展に誘われるようになったのですが、アクセサリーって埋もれてしまうんですよね。
特に、他の作家さんがうつわやら木工やらとなると、僕のものはサイズも小さいですから大体、会場のすみに追いやられてしまいます。
そうなると、僕のブースだけ、いつも小さい。
みんな2メートル四方もっているところ、僕だけ50cm×50cmとかで(笑)。

-:で、可愛くそこに収まってしまうわけです(笑)。

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カトラリー、できますけど・・・

三輪:陶器の作家さんとも仲よくなって「なにか一緒にやりたいよね」なんて話していても「でも、三輪君とはねえ、アクセサリーだし・・・」って。
で、その時に「俺、カトラリーできますけど」って言ってしまいました。
実際、過去に作ったこともありましたし。

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-:それがきっかけとなるわけです。

三輪:はい。ジュエリー作りでも、地金つくりという材料作りから始めることを習慣にしていたこともあって、意外とカトラリーは最初から自分の作り方ができました。

-:地金作りとは何ですか。

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三輪:ササブキという100%の銀と銅を混ぜるところから始めます。
炎が良く見える夜の作業なのですが、重さを測って、火にかけて、型に入れて棒を作ります。
次の日起きたら、叩いて伸ばす作業をすぐ始められるようにしておくのです。

三輪周太郎さん作者インタビュー2024 三輪周太郎さん作者インタビュー2024

-:三輪さんにとっての、素材としての銀の魅力を教えてください。

三輪:銀は光をよく反射します。
電灯が無くて暗かった昔の屋内だと、ろうそくの明かりが銀のカトラリーにキラキラ反射して、キレイだったと思いますよ。
そして、銀には美しさと弱さが共存しているんです。
手入れも必要で、愛情がなければ使えません。弱さも含めて、銀の良さなのです。

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-:他の素材はいかがですか。

三輪:真鍮は色味が好きです。
経年変化も大きいので、使えば使うほど風景が出来ていく。
アルミは、叩いて見た目をザクザクっとした感じにしてから、かたちを作り始めます。
金は掛け値なしに格好いいです。
銅はピカピカに磨いても、くすませても格好いい。
やっぱりオリンピックの金銀銅の順番になっていますね。アルミメダルが無いわけですよ。

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「普段使い」と「特別感」

-:「普段使い」に「特別感」が加わるのが、三輪さんのお仕事の魅力の一つだと思います。

三輪:使えるものを作ってはいますが、装飾のための細工も入れます。
細工を入れる作業はアクセサリーの経験がありますし、楽しく感じます。
「気が付いたら毎日使っているもの」であると同時に「あの人が来るから、今日はこれを使おう」と特別な日に特別な道具としても使ってほしいです。
我が家の場合、妻は僕のカトラリーをしまっておいて、特別な日に使おうとしています。

-:大事にしてくれているのですね。

三輪:そうですね。嬉しいのですが、しまっているうちに、どこかにいってしまうんですよ。

-:(笑)。

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三輪:いずれにしても「使いたいと思い続けてもらえるものは何なのか」これからも考え続けていきます。
カトラリーは作業が単純なので、考えることをやめがちなのですが、そうならないように意識しています。

三輪周太郎さん  作者インタビュー2024

時代に取り残されず、超えていくもの

-:何か目指していることはありますか。

三輪:自分でイギリスのアンティークカトラリーも使っているのですが、古いモノだと400年前のものもあります。
目標はそうやって何百年も残るもの。
装飾も、時代に取り残されることもあれば、超えていくものもあるでしょう。
これから50年後に、今のお客様のお孫さんがどこからか出してきて「あ、このスプーン、なんかいいね」とか「使ってみようかな」とか、そういう風に思ってもらえたらいいですね。
昔のものは色々なことを教えてくれます。

-:「400年前のアンティークが教えてくれること」とは何なのでしょうか。

三輪:優れたカトラリーって指の延長線上にあるんです。
自分の指がスプーンになり、フォークになっている感覚です。僕自身もそのようなカトラリーを作りたいと思っています。

三輪周太郎さん作者インタビュー2024

手に取ることを躊躇するような・・・

-:これからしていきたいことを教えてください。

三輪:これまでは手の中に収まるものしか作ってこなかったので、これからは両手で広げたくらいの大きさのものも作ってみたいと思っています。

-:今度の展示会に向けても一言お願いします。

三輪:広い場所で展示をさせてもらうので、空間の中に沈んでしまわない、少し浮くくらいのものを目指して作品作りをしていきたいと思います。
少し手に取ることを躊躇するようなものもあっていいかなと。

-:鬼瓦やワカメではありませんよね。

三輪:違います(笑)。

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