増渕篤宥さん作者インタビュー2025


独立の日から

花田:増渕さん、今年は節目の年ですね。(以下花田-)

増渕:独立20年目です。ちなみに、結婚は30年。それも同じ日の4月2日で。

増渕篤宥さん作者インタビュー2025

-:おめでとうございます。
すごい偶然ですね。独立当初、今の状況は多少なりとも想像・・・
いや、できるわけ、ないですよね。

増渕:独立していきなりつぶれかけましたから。宮崎に来た時は、お金も信用もなし。
銀行の人に「一銭も貸さない」と言われました。しばらく地元の窯元でお世話になって・・・。
今でも感謝しています。
そのうち、無理くり独立しちゃいました。
在庫はどんどん増えていく、子供たちはどんどん大きくなっていく・・・。
まずいな・・・って(笑)。

色々なことをヒントに

-:最初はどのような物を作っていたのですか。

増渕:粉引です。

増渕篤宥さん作者インタビュー2025

増渕:その後、瀬戸の窯元勤務時代に学んだことからヒントを得て、それを自分なりの形にしていきました。お店からの依頼で小ぶりの茶漬け碗やら・・・。

増渕篤宥さん作者インタビュー2025

-:茶漬け碗、いいですね。

増渕:高さと、碗の立ち上がりの角度には気を使いました。
そこを間違うと、とんでもなく使いづらいものになる(笑)。
お茶漬けの会社のテレビCMにも使ってもらえたんです。

-:多くの人々に知ってもらえますね。

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増渕:装飾の少ないシンプルなものにも取り組みました。
ここ小林市は薩摩に近い文化圏なので、薩摩焼風のアイボリーを使って何かできないかと。
でも「薩摩焼」と呼ぶのは本家に失礼なので名前は変えて(笑)。
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増渕:そこから自分なりに線を引いてみたり、彫ってみたり、色を増やしたり。
黄瀬戸や織部っぽい表現も試しましたが、そのままの名前で呼ぶと、ガチでやっている人たちに怒られちゃうから、やはり呼び名は変えつつ、アレンジを加えていきました。

彫りの仕事の誕生

-:シンプルなものを目指していたのに、結局、装飾が増えてしまいましたが、彫りの仕事がそこで生まれたわけです。
増渕篤宥さん作者インタビュー2025

増渕:で、その頃の展示会で、お客さまが連れて来ていたお子さんと遊んでいて、
その子の持っていた万華鏡を覗いたとき、少ないパーツでも無限の模様が生まれることに驚き、自分の彫刻刀も同じだと気づきました。
彫刻刀を数本しか持っていなくても、組み合わせ次第で表現は広がる。
彫りの深さや釉薬も工夫して、絵を描くような感覚に近づいていきました。

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-:様々な気づきが重なっていくのですね。

増渕:彫りの仕事を始めたのは「筆で描く絵」にしっくり来ていなかったこともあります。
元々は、瀬戸の訓練校で染付を学んでいて、出来るつもりでした。
で、手伝ってくれる妻に最初は偉そうに教えているんですけど、実は妻のほうが勘が良くて、半年もたたないうちに抜かれてしまう。

-:(笑)

増渕:というわけで「彫りで描く」のは自分にとって、道が拓けた感じでした。祖父の木彫りの仕事なんかを思い出して「ああいうの、やりたいな」って練習して、今に至っています。 

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最近の仕事

-:最近考えられていることや、取り組んでいることはありますか。

増渕:ここのところ、天災や事故も多いので、魔除けになるようなモチーフを考えました。
例えば、四神の青龍、白虎、朱雀、玄武です。
写実的になりすぎないよう、青龍の鱗、朱雀の飾り羽、玄武の蛇をそれぞれ連続文様化して・・・。
で、白虎が1番困っちゃって・・・。当たり前ですけど、白なんですよ。
それに、いくらパターン化しても、何か「どんくさいベテラン感」が出てしまう(笑)。
もう少しブラッシュアップします。
あと、題材に、身の回りのものが増えてきました。
冬、よく庭に来るジョウビタキが可愛いのでモチーフにしたり・・・。
木工的なニュアンス・・・、祖父のやっていた木工の鑿跡のような「もの作りの息遣い」のようなものも、見せたいと思っています。

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-:変化のきっかけは何かあったのですか。

増渕:年齢なのかな・・・。あとは、藤塚さん(作家の藤塚光男さん)が引退するとか、子どもたちが独り立ちするとか・・・、寂しくなることも続きましたし。
それと、ようやく最近、アイデアをノートに書き留めるようになりました。

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-:今までは・・・。

増渕:アイデアノートは無いほうがいいと思っていました。
僕は古典の写しやお手本に似せる、というのが苦手で・・・。バンドをやっていた時も、コピーバンドだとオリジナルと比べて「上手い」だ「下手」だ「間違えた」だ言われるから、それなら自分たちの曲を作ってしまったほうが早いと考えていました。
そうすれば「間違え」もなくなる。
「これは、ちょっと変則的なコードなんだよ」という・・・。

-:(笑)

増渕:つまり、アイデアノートなどというお手本を持ってしまうと、それ以上に行けなる気がします。
でも最近、頭にあったはずのアイデアが、いざ作ろうという時に出てこなくなってきました。
ノートは備忘のためと、あとは、以前は思いつくことが割と単純だったのですが、最近、複雑になってきていて、頭の中だけでは整理がつかなくなってきている(笑)。
で、ノートを探していたら、息子の部屋から一冊出てきて「ちょうどいいや」と思って開いたら、1ページ目だけ勉強してあって、あとは真っ白。息子らしくて、笑ってしまいました。

-:ご子息も、まさかそんなきっかけで、ノートを見られているとは思ってもいないでしょうね

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モノを通じて…

-:今後、していきたいことは、ありますか。

増渕:世代関係なく、うつわに馴染みのない人が「試しに持ち帰れるもの」を作りたいです。
ある展示会で「器が変わると楽しいよ」と、ついてきていたご主人へのお客様の一言が、すごく腑に落ちて。
そんな楽しさを、モノを通じて伝えていければなと。 

増渕篤宥さん作者インタビュー2025

-:増渕さん「楽しい」の好きですよね。
そして、どんなことや思い出も、楽しく話してくれます。

増渕:例えば、その頃作っていた総透かしの仕事も、彫っているのが苦しくないと言えば、それは嘘になるかもしれないけど、それを「苦しい」と思ったり、言ったりしてしまったら、それまでじゃないですか。
それを選んで使ってくれようとしている人まで苦しくなってしまいませんか。

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これからも

-:独立から20年、奥様はずっと増渕さんの近くにいらっしゃいました。

夫人:子供たちの成長に合わせて、色々なことが起きますよね。
そんな中でも、家族のことを考えて、よくやってくれているなって思います。 

増渕:いや、本当のこと言っていいよ。普通に(笑)。

夫人:本当のことだけど・・・。

増渕:妻は忍耐の人です。僕が言うのも変ですけど、本当によく我慢してくれているなと。僕が「バイクのレースに出たい」と言っても「はい。いってらっしゃい」ですもの。

夫人:その時反対しても、結局、いつか行くでしょう(笑)。

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-:この先も色々と楽しみですね。

増渕:まあ、自分に商売のセンスがないのは重々わかっています。
焼き物が好きというだけで、本当にたまたま、ここまで来られました。
まあ、この調子で頑張っていきます。

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