工房を行く Kazu Oba
2話・・・メリケン陶芸家が切り拓くYAKIMONの未来
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu08.jpg)
Kazu Obaさんは外交官を目指し、英語も分からないまま、18歳で渡米。
夢と希望に溢れた青年の、陶芸家への道が開かれた瞬間でした。
Kazuさん、コロラド大学で国際関係学を学びながらも、
ほどなくアートの世界に興味を持ち始めます。
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu09.jpg)
中でも彫刻に強く惹かれ、彫刻家であるJerry Wingren氏に師事。
そののち、陶芸家の中里隆氏と出会うことになります。
全てを食につぎ込む中里氏と過ごした時間は、
Kazuさんを陶芸の道へ引き込むには充分でした。
さて、コロラドには数日の滞在でしたが、
Kazuさんは多くの方々を僕に紹介してくれました。
単身で米国に乗り込み、コツコツとネットワークを作り上げてきたのです。
そして、仲間と力を合わせ、一つひとつの仕事を積み上げてきました。
彼らのような多くの協力者なくして、今のKazuさんの仕事は成立しません。
その仲間たちにとっても、今やKazuさんはかけがえの無い存在になっています。
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu10.jpg)
渡米時も、陶芸を始めた時も、将来への確信などなかったはずです。
ただ、自分の気持ちに正直にまっすぐに向き合ってきた結果です。
そして、自らを囲む環境や状況を少しづつ自分のものにしながら、今に至りました。
海外で活動したい、自分の好きなことをずっとしていたい、
自分の仕事場を自分で作りたい、世界中を渡り歩く仕事をしたい・・・
多くの人が一度は考えたり望んだりしたことではないでしょうか。
Kazuさんはそれを行動に移しました。
それらを実現できるだけの力と人間性がそなわっていた、ということでしょう。
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu11.jpg)
Kazuさんの言葉を思い出します。
「子どもの頃はみんな、楽しそうに何かを作っていたじゃないですか。
それが、みんな大人になってくると『私、器用じゃない』とか
『私Artistじゃない』と始まって、後付された概念に支配されていってしまう。
この時代だとか、この国に生まれたとか、
こんな家庭に育ったとかそういうことにとらわれ過ぎてしまう」
子どもの頃の思いや喜び。
放っておけば消えていってしまいそうな、
ピュアな気持ちをいつまでも持ち続けることに、真剣なんだと思います。
米国の風土、気質や、コロラドという土地もそれを大きく支えていることでしょう。
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu12.jpg)
大らかに。志高く。
花田はKazuさんが今のペースを保ちながら、日本でも広く受け入れられていって欲しい。
そう願い、個展を開催いたします。
カートン数にして30に及ぶ力作が揃いました。
すっきりした白釉や、野趣溢れる焼〆の選ぶのに迷いそうな軽やかな板皿、
質感もかたちも表情豊かなマグ、
取っ手と注ぎ口に上手さを見せるピッチャー、
盛り鉢にちょうど良い大きさのバリエーション豊かな中鉢類、
酒のみは無視できない、片口、徳利、ぐい飲みなどの酒器類・・・
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu13.jpg)
「自分(の暮らし)に必要なものを作る」
「そもそも料理が主役で、
自分の作っている食器は食べるため、盛るため、酒をのむため。
それ以上でもそれ以下でもない」
これら”Kazu Rules”をまさに体現した、やきもの揃えとなりました。
![](http://www.utsuwa-hanada.jp/hanada/wp-content/uploads/2015/12/20150617-kazu14.jpg)
日本の食卓で、Kazuさんのうつわを囲んで、少しでも多くの笑顔が生まれること、
祈っています。